ルイ14世時代の領土拡張政策の結果、18世紀前半のフランスはアメリカ・ミシシッピを植民地としていました。現在ではミシシッピ川のながれるルイジアナ州に、フランス支配当時の名残がある程度ですね。理由としては、失政の結果、フランスはルイジアナを手放さざるを得なくなったからですが、そのあたりは省きます。
当時はインターネットも飛行機もなく、ミシシッピと聞いても「あぁ、あの犯罪者を流刑にするところか」くらいの認識しかないのが、フランス人の常でした。そこに銀行家のジョン・ローは目を付けました。
1717年8月、ローは開発計画が実行されないまま放置されていた「ミシシッピ会社」の経営権を取得します。その名のとおり、ミシシッピ地方の開発をしようという会社ですが、資金が集まらず、活動実績はほとんどないまま放置されていました。
しかし、ローは「ミシシッピには金銀財宝が数多く眠っている」と熱弁を振るい、ミシシッピを開発する「ミシシッピ計画」を実現させれば、巨万の富がフランスに流入するだろう、「ミシシッピ会社」の株券を買って開発を応援してくれた人たちには、ちゃんとお礼をする……と世間に持ちかけたのです。
そして上は王族、下は庶民にいたるまでフランス全土の人々を信じさせてしまったのです。
ミシシッピに金銀財宝があるかどうか、それには何の根拠もない話でした。「ホントにあるといいなぁ」程度。実際はありませんでしたが。
輪をかけてさらに酷いのが、支払いシステムです。1719年当初、ミシシッピ会社の株は一株500リーブルでした。しかし現金ではなく、国債で支払えるようにしたところにも「工夫」がありました。
国債といえば、ルイ14世の治世以降、財政難のフランス王国が発行しまくり、30億リーブルにも膨れ上がった国の借金の証です(1リーブル=現代日本円で2500円程度。30億リーブルは約7兆5,000億円)。国の借金が、返済もしていないのに、株……それも未来の保証もなければ、会社の実態すらないペーパーカンパニー「ミシシッピ会社」なる開発会社の株と交換され、帳消しになっていくのです。
コレ以上に美味い話はありません。当初、5万株が用意されていたのですが、なんと30万口以上の応募がありました。購入者名簿に自分の名前を載せたい人たちが、ローの自宅に直談判しようと朝から晩まで押しかけました。
ミシシッピ会社の株の額面は当初500リーブルの10倍、5000リーブルに。発行数は5万株から30万株にまで増やされたものの、それでも希望者が増える一方です。
ついには国債だけでなく、ローの銀行で発行される「紙幣」と引き換えに株の購入ができるようにもしたし、現金がない人は国から借金まで出来るようにしたため、紙幣はじゃんじゃん印刷されるようになります。
金貨/銀貨といった正貨を補う手段としてミシシッピ計画は生まれたのに、紙幣が増やされたら何の意味もないのですが……。それでも人々が夢だけを見て真実に気づかない間、すべてはうまく行きました。
売出し当初の1719年、500リーブルだったミシシッピ会社の株価は上がりつづけ、1720年初頭10000リーブル、つまり20倍となりました。何回もいいますが、ミシシッピ会社に実態はなく、ただのペーパーカンパニーです。この時点で、ミシシッピの開発などは行われてもいませんでした……。
海外からも投資家やお金持ちたちがフランスを訪れ、外貨を落としていってくれたので、フランス国内のビジネスは回りに回るようになります。こうして給料、物価、不動産価格が目に見えて上昇しはじめるというバブル時代が本当に訪れました。 フランス史において、その数年間は「摂政時代」と呼ばれ、贅沢きわまりない繁栄の時代として記憶されています。ところがその繁栄に実態はなく、きわめて短い間しか続きませんでした。
1720年はじめ、つまりミシシッピ会社の株価が最高値を更新しているころ、株の新購入を断られた大貴族・コンティ大公が、ローの銀行に預けていた金貨/銀貨といった正貨をすべて引き抜くという嫌がらせをしでかしました。 3台分の荷馬車でコインを運んだそうですが、それを見て、ローは怒りました。
自分のやっていることの「金メッキ」が剥がれてしまうのを恐れたのです。しかし、この事件がきっかけに、一部の経済に明るい貴族たちや株式仲買人らプロは、ローの銀行に預けていた金貨/銀貨をこっそり抜き出すようになりました。そして国外に送金していったのです。
それを知った他の人々も不安にかられ、銀行に殺到。ついにローは自分の銀行で発行した「紙幣」に見合う数だけ、金貨/銀貨が銀行内に存在しないことを認めざるを得ませんでした。 こうなると破滅はすぐそこです。
ウォレット系などポンジスキームのスキャム案件によくみられるように、新規出資が引き出し額を上回っている間は「儲かっている」ように見せかけられるものの、それが逆転するとは払戻原資が無いためスキャム運営は払い出しができなくなる。この場合、『ハッキングされた』『ウォレットのメンテナンス』を理由に払い出しできない旨の説明をするが払い出し能力は既になく、創業メンバーはBTC(ビットコイン)を持ち逃げしてジエンド…という流れが定石。そして、持ち逃げしたBTCは売却して法定通貨にする必要があるため、BTCは大量に売り込まれ価格下落の要因となる。ミシシッピ計画における、ローの銀行が発行した不兌換紙幣は「スキャムアルトコイン」に近しい存在といえます。
金貨/銀貨といった正貨にちゃんと換算できない、ローの「紙幣」を誰も使おうとはしなくなります。1720年5月、ローは「正貨の使用を完全禁止する」という法令を出させることに成功します(めちゃくちゃですが)。しかし、ローに対する信頼だけで成り立っていた、ミシシッピ会社の株価が暴落しました。なんと1720年のピーク時の200分の1以下、つまり売り出し値の500リーヴル以下にまで落ち込んでしまったのです。
こうして同年5月29日、ローはそれまで請け負っていた財務総監の職を辞任。なけなしの財産を奪われ、借金だけが残ったと怒り狂う民衆に狙われながら国内に潜伏していましたが、12月20日、フランスを例の摂政オルレアン公フィリップ殿下に手助けしてもらってフランスを脱出。
余談ですが、この大騒ぎの約1年後に生まれたのが、のちにルイ15世の公式寵妃として有名になるポンパドゥール侯爵夫人です。なんとなくにせよ時代の「空気」が、わかりますでしょうか?
1729年、イタリアのベネツィアで多額の借金を抱えて亡くなるまで、二度とフランスの地を踏みませんでした。結局、ローの王立銀行は預かっていた貨幣の2倍もの量の「紙幣」を発行してしまっていました。
ローが天才銀行家だったか、悪徳詐欺師だったかは歴史家によって評価が分かれます。ローには金融の才能がありました。「正しいことをなるべくしよう」とする程度には善人なのですが、黄金の誘惑に勝てないのです。結局「儲かるなら……」と悪事を容認してしまうタイプ。
策士策に溺れるというタイプの人間のように思われてなりません。というのも、ローはフランス国内に全財産に近い額を投資しており、自分がウソ八百で作り出したミシシッピ計画すら、最終的に自分でも信じるようになってしまっていたようなのです。夢という名の「欲」に理性を完全侵食されてしまっていたのでしょうか。恐ろしいことです。